粟田貴也さんは、丸亀製麺の社長さんです。一代で巨大うどんチェーン店を築き上げた豪腕です。今回のコロナ禍でも売り上げを減らさず、店を一店も閉店することなく営業を続けている優良企業です。そこには粟田社長の数々のアイディアや工夫があり、もともと丸亀製麺を急成長させたチェーン店の常識を覆す数々のアイデアがあります。私もよく食べに行くのですが、そんな丸亀製麺の粟田社長はどんな方なのかとても興味があります。そこで
・粟田社長の高校大学や経歴は
・粟田社長の父親は?
・粟田社長が成功した理由とは
をまとめました。
今夜10時からの #カンブリア宮殿 は…大手外食チェーンの大量閉店が相次ぐ中で「新型コロナによる閉店ゼロ」と奮闘している国内トップの讃岐うどんチェーン #丸亀製麺 の大特集!なぜ、逆風の中で丸亀製麺は復活できたのか?その知られざる秘密を徹底取材しました。お楽しみに! #トリドール pic.twitter.com/pOOw2MAOma
— カンブリア宮殿 (@cambrian_palace) September 16, 2020
粟田社長の高校大学や経歴は
粟田貴也(あわたたかや)さん、
1961年10月28日、兵庫県生まれ
2020年で59歳ですね。
高校は兵庫県立加古川東高等学校です。
この学校は、旧制加古川中学から続く伝統校で
スーパーサイエンススクールの認定校でもあります。
粟田社長は学生のころ貧しかったので
アルバイトをしながら学校に行ってましたが、
成績優秀、人望もあつくて
中高と生徒会長と務めています。
学生のころから社長になるような
頭角を現していたようですね。
大学は神戸市外国語大学ですが、
入学当初から独立の野心があり、
大学時代に喫茶店でアルバイトしていた経験から
飲食業で独立することを決めて、大学は中退しています。
大学中退後、独立資金稼ぎで佐川急便で働き
仕事帰りに赤提灯に通うようになって
居酒屋に興味をもち、
1985年23歳のときに、
焼鳥居酒屋『トリドール三番館』を創業します。
立地は悪くなかったようですが、
なかなかお客さんが集まらず苦労したようです。
そこで焼き鳥を焼くところを見てもらう
オープンキッチンのアイデアを採用します。
しかし鳥インフルエンザ騒動で方向転換を迫られ
そこから丸亀製麺の開業に至ります。
オープンキッチンのアイデアは、丸亀製麺にも引き継がれています。
粟田 貴也社長の父親は?
粟田社長のお父さんは警察官でした。
残念ながら粟田社長が小学校6年生のときに亡くなっています。
粟田社長が高校大学とアルバイトをしていたのは
お父さんが亡くなって生活が苦しかったことがあります。
でもお父さんの故郷の香川県の讃岐うどんに着想を得て
「丸亀製麺」を開業しているので
亡くなったとはいえ、
お父さんの影響が今の粟田社長をつくったことにつながります。
粟田社長が成功した理由とは?
丸亀製麺は
2006年に東京証券取引所マザーズ市場に上場、
2008年に東京証券取引所第一部に市場変更して、
2018年3月期で国内外1,600店舗超、
売上高1,100億円を達成してさらに成長中。
こんな急成長の会社を粟田社長はどんなふうに
作り上げていったかとても興味がわきます。
どうやって今の丸亀製麺を築きあげたのか
粟田社長のインタビューをもとにまとめていきます。
粟田社長が大学を辞めて最初に開いたお店は
社長の地元の兵庫県で開いた「1軒の焼鳥屋」でした。
最初のうちはなかなかお客さんに来てもらえず苦労したようです。
そこで粟田社長が学んだのは
「お客様は、来なくて当たり前」
という前提にたって考えることだそうです。
これは、なるほどと考えさせられました。
物を売る商売でも同じですね。
「お客さんは買ってくれなくて当たり前」
そういう前提に立つと
じゃあどうやったらお客さんに来てもらえるか?買ってもらえるか?
って考えますよね。
他の店よりも少しでもお客さんの喜んでもらうこと。
それにはどうしたらいいか、
「お客さんが喜ぶことを追求し続けること」
それが丸亀製麺の成功につながった理由のようです。
最初に開いた焼き鳥屋は
鳥インフルネンザ騒動などで方向転換をすることになり
父親の出身地で有名だったうどん店に転換します。
うどんといっても
単に安くておいしいうどんなんて山ほどあります。
コンビニにはもレンジで温めれば自宅でおいしく食べられるうどんがあります。
一方で、わざわざ香川県まで讃岐うどんを食べに全国から人が集まる。
この差が何かを粟田社長は考えました。
そこで、
「製麺所で手づくりの、できたてのうどんが食べられる」
「作っているところが見れる体験があって、作り手や客のストーリーがある。」
その体験やストーリーにお客さんはお金を払ってくれる。
その発想から『丸亀製麺』を立ち上げます。
それで、店名も「丸亀うどん店」ではなく「丸亀製麺」になりました。
一般的なチェーン展開の飲食店だと
設備投資を減らすことと、品質の安定のために
1カ所でまとめて商品を作っていることが多いですが
丸亀製麺ではその常識を覆し
「手づくり」「できたて」のために、
あえて、設備投資も人件費も光熱費もかさむ
店内調理にこだわっています。
その理由が「すべては、お客様のよろこびのために」
という経営理念があるからなんですね。
丸亀製麺の急成長の理由は
経営効率や利益の追求が一番ではなくて、
「お客さんを喜ばせること」を第一に追求していたからなんですね。
この考え方って、
私たちが生きて行く上で本当に大事なことだと思いました。
どうしても作業効率や利益が優先になってしまいがちですが、
お客さんの喜びがあって、
初めて仕事やお金が回るんですから。
粟田社長の考え方、経営理念、とても参考になりました。
丸亀製麺については次の本が出版されているので参考になります。
まとめ
丸亀製麺の社長の粟田貴也さんについて「粟田社長の高校大学や経歴は」「粟田社長の父親は?」「粟田社長が成功した理由とは」をまとめました。粟田社長は父親の出身がうどん県だったことからうどん店を開業しましたが、第一に利益追求ではなく、お客さんが喜ぶことを優先にする経営理念で急成長し、東証一部上場の優良企業になりました。
今回のコロナ禍で閉店が相次ぐ外食産業の中、たいへん検討している丸亀産業の経営方針は、とても参考になります。
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