吉田潤喜(ヨシダソース創業者)の出身や経歴は?通販はあるの?

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アメリカで知らない人はいないというヨシダソース!これを開発したのが吉田潤喜さんで、アメリカではイチロー並に有名な日本人です。どん底から年商250億円を稼ぎ出すまで這い上がった波瀾万丈の人生は、とても興味がわきますね。TV番組の 「カンブリア宮殿」「ソロモン流」「なぜソコ?」などにも出演されました。そこで
・吉田潤喜さんの出身や経歴は?
・ヨシダソース通販はあるの?
をまとめました。

最後に吉田さんの料理教室の動画あるので是非見てみてください。

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吉田潤喜さんの出身や経歴は?

現在吉田さんは
アメリカ北西部のオレゴン州ポートランドに住んでいます
ここは世界的企業のナイキの本社があって、
自然が多く消費税0%という理由で
毎週のように人口が増え、
「住みたい町全米NO1」に選ばれた場所です。

そこに東京ドーム2個分の大豪邸
結婚46年目の奥様と暮らしています。

なんともうらやましい限りですが、
そこまで行き着くのには
相当な苦労があったと想像できます。

そんな吉田さんはどんな経歴なんでしょうか。

吉田 潤喜(よしだ じゅんき)さんは
1949年12月7日 生まれ
2020年で71歳

京都府京都市南区出身
在日コリアン2世です。

父はカメラマン
母は雀荘や焼き肉屋を経営してましたが、
生活は苦しかったようです。

4歳の時事故で右目を失明
これがきっかけでいじめを受ける日々が続きます。

そこでいじめられないために、
空手に打ち込み
最終的に8段までに昇格しますが
この空手が吉田さんの運命を
大きく変えていきます。

吉田さんは右目失明というコンプレックスの中、
1964年開催の東京オリンピックで見た
アメリカの強くて自由な風土にあこがれて
大学受験失敗を機に19歳で渡米します。

当時アメリカは
ベトナム戦争が泥沼化していく時期で、
吉田さんは不法就労者だったので、
いつ捕まって強制送還されるかも分からなかった
といいます。

その後
ブルース・リー人気で空手がブームとなり、
空手を身につけていた吉田さんは空手道場を開きます

道場を開いてみると評判を呼んで、
最終的には
ワシントン州とオレゴン州で
日本空手道連盟の主席師範にもなっています。

ただ空手道場経営もずっと順調だったわけでなく、
アメリカの不況で生徒が1/3になってしまいます。

クリスマスに生徒たちからプレゼントをたくさんもらいますが、
そのお返しをできるだけのお金がありませんでした。

そこで、
お母さんが日本の実家でつくっていた
バーベキューソースを
手作りしてプレゼント
します。

このバーベキューソースの元は
お母さんが経営していた焼き肉屋のタレ。

しょう油ベースで、みりん、砂糖を
8時間掛けて煮込んだ甘辛のタレ

それを瓶に入れて
リボンを飾ってプレゼントのお返しにしたところ・・・・、

「お金を払ってでもほしい!!」と大好評。

何が幸いするかホントわかりませんね。

そこで吉田さん、「これはビジネスになる!と思って、
30歳から醤油ベースのバーベキューソースを作り始め
32歳1982年にオレゴン州に吉田ソース会社を創立します。

でも初めは小売店がまたたく商品を置いてくれません。

最初からそううまくはいきませんね。

そこで吉田さん
「目立ってナンボ」とばかりに、
着物姿でカウボーイハットを被って実演販売に精を出します。

この風変わりな実演販売も良かったのですが、

翌年、当時2店舗しかなかった
米大手小売りチェーン「コストコ」の創業者
ジム・セネガルがヨシダソースを
店頭に並べてくれることになり、
販売額が急激に伸びはじめます

「コストコ」に目を付けてもらったのが良かったんですね。

しかし、
調子にのってゴルフ場開発などで失敗して
破産危機に直面することも4回
拳銃を手にしたこともあったそうです。

エピソード

こういうエピソードがあります。

アメリカでソース作りをはじめて間もない頃に、
ある事情で借金の3万ドルを
60日以内に返さないはめになった
ときのこと。

吉田さんあは、
目につくあらゆるところ(工場のトイレや運営していた空手道場)に、
「1万本」と書いた紙を張り出します

「1万本」というのは、
3万ドルの借金を返すには、
いつもより多く1万本売れば良いという数字でした。

その必死な吉田さんの姿を見て
空手道場の生徒は前払いでソースをたくさん買ってくれたり、
工場のスタッフの知り合いなどにソースを買ってもらったり、
結果、目標の1万本はあっという間に達成されたとのこと。

社長が頑張っている姿をみせると
まわりのみんなが協力してくれるという話ですね。
この目標をあらゆるところに「書き出す」
というのも目標実現に良かったんだと思います。

もう一つのエピソード

ある時「チャイニーズソース
というパイナップルを配合したソースを売り出したところ、
まったく売れず大失敗してしまいます。

そこで、商品の中身はほぼ変えずに、
ハワイアンバーベキューソース
としてトロピカルなラベルに張り替えて売り出したところ
大ヒットしたと言う話。

これは、ネーミングだけで、
商品の印象ががらっと変わるという話ですね。

波瀾万丈の人生を送ってきた吉田さん
いろいろな経験から吉田さんの経営哲学は

商品だけじゃなく、自分自身を売ること。
 そうすることで初めて人に感銘してもらえる。

 経営者なんてのはかわいがられてナンボ。
 ええ格好するだけじゃダメですよ

実体験に基づくものなので、
とても納得させられます。

現在、吉田ソースは10カ国で販売されて
他にも航空貨物、リゾート開発、不動産業など18社を傘下にもっています。
年商2億ドルをあげるアメリカ中堅の有名企業になっています。

ヨシダソース通販はあるの?

ヨシダソースは、我が家でもアメリカでそんな人気商品だとは知らずに
コストコで購入していました。

原材料と見ると、確かに醤油ベースです。

色々な料理のたれに使えますが、ちょっと我が家の味つけには甘いです。

カロリーや糖質が気になります。
そこで次の記事も見てみてください。

関連記事→ヨシダソースのカロリーや糖質量を他の日本のソースと比較!

ヨシダソースはコストコやスーパーで購入できますが、
取り扱いが無い場合は通販で取り寄せることができます。

吉田さんのビジネス書もあるので是非読んでみてください。

最後に吉田さんの料理教室の動画あるので是非見てみてください。

まとめ

アメリカで超有名な日本人、吉田潤喜さんの「出身や経歴は?」「ヨシダソースの通販はあるの?」のまとめました。
吉田さんの経歴を知ると、人生のチャンスというものは、自分のコンプレックスから始めたことや日常のちょっとした気づきに隠れていることがわかります。チャンスをつかんで、あとは行動力ですね。日常不平不満を唱えず愚痴をこぼさす、頑張っていこうと思いました。逆転人生ができるような気がしてきました

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