タロジロが生きてた理由の真相は共食い?第三の犬の存在?

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1958年(昭和33年)に悪天候で第2次南極観測隊の越冬が中止になって、やむを得ず
昭和基地に置き去りになった樺太犬15頭。翌年全頭死んだと思われていたのに、タロ・ジロの2頭だけが奇跡的に生き残っていた感動的な話は有名ですね。
タロ・ジロが生き残っていた理由はいろいろありますが、そこに第三の犬の存在があった
ということが言われています。どういうことでしょうか興味がわきます。
そこで、
・タロジロたちが置き去りになった理由
・タロジロが生きてた理由とは?
・共食いがあった?
・第三の犬の存在とは?

をまとめました。

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タロジロたちが置き去りになった理由

南極観測隊は南極でさまざまな観測をするための調査隊で、
年に1回交代します。

現在(2020年1月現在)は第60次隊が越冬して61次隊へ引き継がれます。

交代は南極に近づきやすい夏に行われますが、
その年の天候によって毎年スムーズに行かないこともあり、
交代が延期される年は珍しくないです。

タロとジロを含めた犬たちが南極へ置き去りにされたのも、
第1次調査隊のあと、
悪天候で第2次調査隊との交代が出来なかったための悲劇でした。

南極の悪天候だと隊員達が脱出するだけでもたいへんで
樺太犬15頭も一緒に脱出する余裕はなかったのだと思います。

一緒に脱出しようとしれば、人の命が危なくなり
苦渋の決断だったと思います。

そもそもどうして犬を南極に連れて行くのかというと、
当時の荷物の運搬手段では寒さに強い樺太犬の犬ぞりを使わざるを得なかったと
いう理由があります。

また犬たちを鎖につないだまま置き去りにしたということで
バッシングを受けますが、
これも仕方がないことでした。

置き去りにされた犬たちが食料確保のために
南極にいる他の生き物を食べて生き延びようとすると
南極の生態系を乱すようなことになります。

南極の自然観測を任務としていた南極調査隊には、
生態系を乱すわけにもいかず、
やむを得ず犬たちを鎖につないだままにしたのでした。

タロジロが生きてた理由

置き去りにされた15頭の樺太犬の生死は

7頭が鎖につながれたまま死亡
8頭が首輪を抜けて逃走
そのうちタロ・ジロだけが生存
という状況でした。

生存が確認されたタロ・ジロについて
「丸々と太って小熊のようだった」
「油のような物でベトベトしていた」と証言されていて
十分な餌を摂取していたようです。

いったいタロ・ジロは何を食べていたのでしょうか。

アザラシを食べた説
タロ・ジロが共同でアザラシ狩りをしているのは目撃されていますが、
アザラシの肉を食べるところを目撃した者はいないので、
アザラシは食べていなさそう。

ペンギンを食べた説
ペンギン1匹で樺太犬2頭の1ヶ月分の食料となるそうですが、
タロ・ジロがペンギンをおそった様子は目撃されていますが、
食べる様子は目撃されていません。

死骸を食べていた説
海から打ち上げられる魚の死骸などを食べていた。
これは何か食べていたかもしれません。

アザラシのウンコを食べていた説
アザラシの糞には未消化の小エビや稚魚が含まれていて栄養が豊富です。
タロ・ジロはアザラの糞を食べていたという説があります。

これは実際にのちの第4次越冬隊が
空腹状態になったタロ・ジロがアザラシの糞を食べたのを目撃しています。

ウンコを食べることは、動物界では特別なことではなくてよくあることです。
コアラなんか子供のとき母親のウンコを食べて育ちます。

ウンコといっても栄養豊富なものがあって
動物界では不足する栄養を補うために食べることはよくある話です。
タロ・ジロも不足する栄養補給のために、
ウンコを好んで食べていたのではないかと思われます。

ソ連隊がタロ・ジロに餌を与えていた説
1958年(昭和33年)から1959年にかけて、
ソ連隊の飛行機が給油のために無人の昭和基地に立ち寄ったときに、
大きな黒い犬2頭(たぶんタロ・ジロ)を発見し、餌を与えていた。
と言う話があります。
これもかなり有力な説です。

共食いがあった?

タロ・ジロが他の樺太犬を食べて生き延びたという説がありますが、
昭和基地にその形跡は確認されてないので
共食いはなかったと思います。

第三の犬の存在とは

タロとジロの見つかってから9年後の1968年に
昭和基地のそばの解けた雪の中から1匹の樺太犬の死骸が見つかっています。

首輪を抜けて逃走した樺太犬の一頭で
名前は「リキ」

「リキ」は第1次観測隊が越冬していたときに、
当時幼かったタロとジロに自分の餌を与え、
実の親のように片時も離れず2匹の面倒を見ていた

という証言があります。

置き去りにされて、リキも首輪から逃れましたが
自力では食料を得られそうにない
幼いタロとジロを見捨てて逃げることができず、
昭和基地に残ってタロとジロの世話をしていたのでは

と推測されています。

若いタロとジロとは違って
7歳の最年長だったリキは徐々に体力を失って力尽きたのでしょう。

タロジロの生存には、リキという第三の犬の存在も大きかったのでは!
と考えられています。

そうだったとすると、さらに感動的な話ですね。
タロジロと「リキ」の名前も忘れないようにしたいです。

第三の犬の話は「南極越冬隊タロジロの真実
とう本になっていますので是非読んでみてください。

越冬隊にはネコもいた!

話は変わりますが、タロジロたちと越冬した
第1次観測隊にはネコもいたそうです。

犬だけかと思っていたらネコもいたとは、
これは初めて知り驚きました。

「ネコは縁起がいいからぜひ連れていってください」
観測隊の出航前の港に何人かの女性が、
生後1ヵ月くらいの雄の子ネコを連れてきたそうです。

そのネコを隊員の上着のポケットに入れて
南極に連れて行ったらしいんですが、
大隊長の名前ととって「タケシ」と名付けられ、
過酷な南極の環境で隊員達の心の癒やしになっていたそうです。

そのへんの話は「阿見 みどり」さんと言う方が
こねこのタケシ」という絵本にしているので
是非読んでみてください。

まとめ

タロジロが生存していた話は有名ですが、どうやって生き延びていたかをまとめました。幼かったタロジロを面倒みていた第三の犬のリキの存在が大きかったんでしょうね。リキが亡くなったあとは、アザラシのウンコや打ち上げられた魚など食べて生き延びたのでしょう。ソ連隊にエサをもらったこともあるかもしれません。とにかく生き延びていたのは
感動的な話です。「南極物語」という映画にもなっているので是非見てみてください。

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