朝ドラおちょやんのキーマンとなっている、星田 英利さんが演じる須賀廼家千之助の
モデルとなっているのは、喜劇俳優の曾我廼家十吾さんです。そこで、曾我廼家十吾とは
どんな人だったのか、
・曾我廼家十吾のプロフィールと経歴
をまとめました。
曾我廼家十吾のプロフィールと経歴
須賀廼家千之助のモデルとなったのは、
喜劇俳優の「曾我廼家十吾」と言う人です。
モデルとなった曾我廼家十吾は、
子役から演劇界で活躍していて
劇団を転々としながら、
当時一大人気を誇った「文福茶釜一座」を立ち上げています。
その後、2代目・渋谷天外(おちょやんでは一平ですね)
と出会い、
後に浪花千栄子(おちょやんでは千代)
も所属することになる「松竹家庭劇」を旗揚げしました。
そんな曾我廼家十吾はどんな人だったんでしょうか?
曾我廼家十吾のプロフィール
曾我廼家十吾は、明治24年(1891年)生まれで、
一平のモデルとなる渋谷天外よりも15歳年上です。
曾我廼家は「そがのや」と読みます。
十吾は「とうご」でも「じゅうご」でも
好きに読んでくださいと本人が言っているので
どっちでもいいです。
実際の曾我廼家十、渋谷天外、浪花千栄子(千代のモデル)の写真があります。
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喜劇役者だけあって、
なかなか面白い顔をしてます。
曾我廼家十吾はアドリブが得意で
アドリブ王として活躍しました。
また、曾我廼家十吾は「お婆さん」役が当たり役で、
「アットン婆さん」という芝居が18番でした。
曾我廼家十吾の経歴
曾我廼家十吾は、
本名は「西海文吾」
父親が兵庫県神戸市で新聞配達の仕事をしていたので、
子供の頃から新聞配達をしながら、
大道芸のモノマネをしていました。
すでに子供のころから芸人の素質があって、
自然と大道芸なんかに興味を持っていたのでしょうね。
ある日
「大門亭大蝶一座」というところで、
子役が急病で出演できなくなって困ります。
そこで、
新聞配達をしてる面白い子供がいるということで、
8歳の曾我廼家十吾に子役の代役が回ってきます。
それがきっかけとなって、
曾我廼家十吾は「大門亭文蝶」という名前をもらい、
大門亭大蝶一座に出演するようになります。
この大門亭大蝶一座は、
「俄」(にわか)と呼ばれる即興芝居をしていたので、
後に「アドリブ王」と言われる曾我廼家十吾の
基礎ができあがったようです。
その後、
曾我廼家十吾は、尾上和田蔵の弟子を経て、
曾我廼家十郎の弟子となり、
「曾我廼家文福」を名乗ります。
モデルの曾我廼家十吾は、
2代目・渋谷天外とともに「松竹家庭劇」を旗揚げし、
「茂林寺文福」というペンネームで脚本も書いてました。
曾我廼家十吾がアドリブ王と言われたのは、
自分で脚本を書いていたのにもかかわらず、
演技中アドリブで次々に台詞を変えてしまうので、
出演者もその度にアドリブで対応しなければならなくて
たいへんな思いをしていたわけです。
まあ、そのアドリブが面白かったんでしょうね。
千代のモデルとなった浪花千栄子もアドリブが多かったようですが、
曾我廼家十吾に鍛えられたようです。
しかししばらくすると、
演技の方向性の違いからだと思いますが、
曾我廼家十郎の元を飛び出して、
色々な一座を転々とします。
曾我廼家十吾は、気に入らないことがあると、
直ぐに居なくなるので「ドロンの十吾」とも呼ばれていました。
やがて、
大正14年11月に師匠の曾我廼家十郎が亡くなると
ライバルだった曾我廼家五郎が喜劇界の頂点に立ちます。
曾我廼家十吾は、
「曾我廼家五郎劇」に入ると、
「曾我廼家十五」を名乗りますが、
不満が重なって1年で辞めます。
そのときに「十五」という名前に不満をもっていた
曾我廼家五郎に名前の返還を求められ
「十五」を返上して、「十吾」を名乗ります。
曾我廼家十吾は昭和3年(1928年)9月に、37歳のとき、
渋谷天外と「松竹家庭劇」を旗揚げします。
海外の文芸作品を参考に
新しいインテリ喜劇を追い求めていた天外と、
物語の筋を無視したアドリブ芸を連発する十吾は
たびたび衝突していました。
「松竹家庭劇」は、戦後の「松竹新喜劇」へと続きます。
当初は十吾のお婆さん芸がうけて
劇団の人気を押し上げますが、
やがて文芸路線の天外の芸が認められ始めると、
これを面白くないと思った十吾は
昭和31年に、新喜劇を脱退しています。
その後、十吾は「松竹家庭劇」を復活させ、
何度か舞台にでていましたが、
1974年82歳で亡くなっています。
まとめ
おちょやんの須賀廼家千之助のモデルは、喜劇俳優の曾我廼家十吾さん。
「曾我廼家十吾のプロフィールと経歴」をまとめました。曾我廼家十吾は、台本も書いていましたが、台本無視のアドリブ王をいわれていて、まわりの役者も困ったと思います、
そのアドリブが受けたんでしょうね。おちょやんの千代のモデルとなる浪花千栄子も
曾我廼家十吾の影響をうけてアドリブが上手かったようです。
一平のモデルとなる渋谷天外とともに、松竹新喜劇を発展させた人なんですね。
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