山下純一さん、盲目で車いすのハーモニカ奏者です。しかも手にも障害があります。
そんな山下さんの
「どんな病気なのか?」「学歴と経歴」「ハーモニカとの出会いは?」
が気になるので調査してみました。
最後に、山下さんが尊敬しているドラマーとの初対面動画があり、感動的なので
是非見てみてください。
NHKハートネットTVのアンコール放送が決まりました!
まだまだ続いている新型コロナの猛威。
早く終息することを願いつつ、無事にオンエアされることも願っています
4/29(水)20:00~。
Blues in the Dark~ハーモニカ奏者山下純一https://t.co/arWFk2QKE7— 山下純一 (@junharmo) April 23, 2020
どんな病気なのか
山下さんの病気は
目も見えないし、
歩くこともできない、
手指も変型しているようで、
たいへん気の毒に思います。
いったいどんな病気なのでしょうか。
山下さんは、2歳の頃から、
やたらと手足を痛がっていたようで、
病院にあちこちかかり、
若年性の関節リューマチや
ほかの色々な病名をつけられたようです。
でも、結局病気の原因は、未だに不明。
「進行性の難病」とだけ・・
したがって、治療方法もないわけです。
小さいころから徐々に歩けなくなって、
すでに小学生の頃から車いす生活。
視力も小さいころから弱くて、
20歳頃に完全に失明。
徐々に歩けなくなり、目も見えなくなる状態って
生きた心地がしなかったと思います。
私なら人生に絶望して何もする気が無くなるかもしれません。
でも、山下さんは強かったです。
学歴と経歴
山下純一さんは、
1975年、京都府向日市生まれ。45歳(2020年4月)
小さいころから歩行障害がありましたが、
小学3年の時には一時歩けるまで回復して
地元の公立小学校に通っていました。
しかし痛みで小4で再び歩行困難になって
養護学校に通うようになります。
中学3年とき、入院していたベッドで
ラジカセから流れる音楽に合わせて
孫の手でベッドをたたいていたら、
女性看護師が
「それエイトビートやね」と声をかけてくれたと言います。
それが山下さんが、音楽に目覚めたきっかけですね。
ある人のちょっとした一言が、その人の人生を変えることがあるんですね。
高校は、盲学校の高等部で、
そこにあったドラムセットが
さらに音楽にはまるきっかけになったそうです。
大学は、周りの人の後押しで、
半ば強制的に大学を目指すことになったようですが、
勉強は点字です。
普通の勉強以上にものすごくたいへんだったと思います。
2浪して京都の私立大学に合格しています。
大学在学中にドラムからハーモニカに転向。
在学中に、京都のライブハウスでハーモニカ奏者として
デビューしています。
2013年、38歳のとき、障害者ミュージシャンの全国コンテスト
「ゴールドコンサート」でグランドチャンピオン。
2018年、43歳のときには、健常者に交じって
国内最大のハーモニカの大会「FIHハーモニカコンテスト」の
ブルースハープ部門で優勝しています。
ハーモニカとの出会いは?
山下さんは
高校生のときに出会ったドラムに没頭します。
その頃、
関西でフュージョンバンドとして活躍していた
「ナニワエキスプレス」のドラマー
「東原力哉」さんにあこがれていました。
(記事の最後にその東原さんとの感動の初対面の動画があります。)
しかし、
原因不明の病気は残酷で、
大学入学後、発熱と全身の痛みと
右肩が上がらなくなるなどの症状で
ドラムがたたけなくなり断念します。
ここからが山下さんの強いところです。
自分を表現する音楽はあきらめきれません。
そこで、不自由な体でもできることはないか・・・
と模索して出会ったのが「ハーモニカ」でした。
ただそのハーモニカも、
病気で手が変形しているので、
一般的な奏法はできず、
独自の創意工夫で演奏しています。
そこが、また山下さんの持ち味にもなっていると思います。
最後に、山下さんがあこがれのナニワエキスプレスのドラマー
東原力哉さんと初めて会った感動の動画を是非見てみてください。
まとめ
山下さんは、
山下純一さん、盲目で車いすのハーモニカ奏者ですが、健常者に交じって、
ハーモニカ日本一になっている、奇跡と呼ばれているミュージシャンです。
経歴、病歴を調べると、どれほどつらい思いをされてきたのだろう、たぶん
想像を絶するものがあったと思います。でもそれを乗り越えて、今はほんと
楽しそうに演奏されています。
そんな山下さんの
「この体はいつか壊れていく、だからこそ今を生きるだけ」
「まだまだやれる」という言葉と、豪快な演奏が心を打ちます。
今後のご活躍をお祈りします。
コメント