高橋義男先生は、全国に30名ほどしかいない小児専門の脳神経外科医です。
医者としての技術はもちろんですが、難病の子供の可能性を信じて、
家族によりそって、最後まであきらめない姿勢は、大きな感動を与えています。
さらに、高橋先生の行き方が「義男の空」の漫画として発刊されていますが、
その理由がまた感動する話です。
「高橋義男先生の経歴」と「義男の空」の漫画になった理由を紹介します。
高橋義男先生の経歴
高橋先生は、1949年、北海道生まれ。現2020年現在71歳です。
札幌医科大学卒業後、
札幌の脳神経外科、神経内科の専門病院
「中村記念病院」に勤務していました。
その後、札医大、北海道立小児総合保健センター勤務などを経て、
2005年から
・とまこまい脳神経外科、
・岩見沢脳神経外科、
・大川原脳神経外科病院、
・別海町立病院小児脳神経外科部長になっています。
高橋先生は、北海道の苫小牧市を中心に
たくさんの病気の子供達を救っておられます。
また、住医学研究会の顧問もされています。
住医学研究会とは、
住居の環境と健康に気付いた医師が立ち上げた研究会です。
たとえば、湿気が多い住居、建材に使われている薬品などで、
健康を害してしる患者がいるので、
健康被害を起こさない快適な住居を医療の面から研究している会です。
高橋先生は、脳神経外科だけでなく、住居と健康のことにも関わっています。
「義男の空」に漫画化された理由
「義男の空」は高橋先生がモデルの
ドキュメンタリー実話マンガです。
脳神経外科医の高橋先生が、どうして漫画化されたということです・・・
漫画化した会社は(株)エアーダイブという会社です。
この会社は、札幌で
・WEB制作を始め、
・アプリ開発、
・イラスト、
・漫画広告などのクリエイティブ制作会社です。
この会社の代表の田中宏明さんは、
もともとマンガ家でしたが、
途中で断念、WEB関係の会社に勤めていました。
田中さんの、生後1カ月の次男が水頭症にかかり、
失意のどん底にあったときに、
全国に30名ほどしかいない小児専門の脳神経外科医の
高橋先生に出会い、
息子さんの命を助けられたことに非常に感銘を受けます。
それが縁で、
高橋先生のボランティアにも参加するようになったそうです。
高橋先生のボランティアとは、難病を手術した子供たちの
術後の回復などを手伝うボランティアです。
田中さんはあるとき、高橋先生のそのボランティアの会の会報の
漫画を頼まれます。
田中さんは、それがきっかけで、高橋先生の生き方、活動を漫画にして
世の中に伝えようと思い、「義男の空」の漫画が生まれたということです。
「義男の空」は現在12巻まで発売されています。
高橋先生の医師になるまでの生い立ちの話と、難病の子供たちの手術の話が
漫画化されています。
私はまだ読んでいませんが、実話でとても感動させられる漫画のようなので、
是非読みたいと思います。
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