俵万智はどんな人?(学歴や経歴やプロフ)夫や子供は?

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俵万智さんは、短歌を詠む歌人ですが、従来の短歌とは違ったカジュアルな言葉で、
若い世代の心をもつかんで、1987年に発表した短歌集「サラダ記念日」では、280万部と歌集としては異例のベストセラーになりました。その後も歌人やエッセイストとして活躍を続けています。そんな俵万智さんってどんな人なのか詳しく知りたいと思います。
そこで、
・俵万智さんってどんな人
 (学歴や経歴やプロフィール)
・ご主人やお子さんは

をまとめました。

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俵万智さんってどんな人 (学歴や経歴やプロフィール)

『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

は俵さんの代表的作品。
日常のさりげない一言から詠まれた短歌、何かとてもいいですよね。

このさりげない一句から、そのときの情景を色々想像して
何回も詠みなおしてしまいます。

今まで短歌には無かった、日常の身近な短歌ですよね。

こんな素敵な短歌を詠まれる俵万智さんの感性は
どうやって磨かれてきたのか、
生い立ちが知りたくなるので調べてみました。

俵 万智(たわら まち)さんは
父:俵好夫さん、母:智子さんの長女として
1962年12月31日に大阪府門真市に誕生しました。

ペンネームのような名前ですが、
本名も同じで、素敵な名前です。
「万智」は父方のおばさんの命名です。

両親も文学関係かと調べたところ、
お父さんは物理学者で磁石の研究をしていて、
お母さんが本好きで、小さい頃は絵本をよく読み聞かせてもらってたそうです。

運動神経は鈍くて、歩き出したのが1才3カ月
幼稚園ではスキップができずに足が悪いのではと心配されたそうですが、
それも運動神経の問題でした。

小学校時代は、たまたま近所に大量に子供向けの本を読ませてくれる
おばさんがいて、入り浸っていたといいます。

やはり子供の頃から
運動ではなくて、文学に親しむ下地は十分にあったようです。

中学2年の夏、父親の仕事の関係で福井県武生市へ転居し、

高校は、福井県立藤島高校に入学。
高校では、顧問の先生に憧れて演劇部に入部して、
戯曲に夢中になります。

高校2年生の秋、交際していた先輩との失恋
何も手につかなくなり、学年で十番以内をキープしていた成績も急降下
この失恋経験も、その後の俵さんの人生に大きな影響を及ぼしていると
思います。

高校3年生になっても受験勉強をする気がおきずに、
大学は推薦で入れる早稲田大学に決めます。
学力検査も面接も論文もなかったといいます。

1981(S56)年 早稲田大学第一文学部入学
大学では「美しい日本語を研究するサークル」
というキャッチフレーズに惹かれアナウンス研究会に入会
基本的な発声訓練から、ラジオドラマを作ったり朗読会をしたりと、
この経験ものちの短歌作りに役立ってそうです。
ちなみに、フジテレビアナウンサーの軽部真一さんは同研究会の同期だそうです。

1982(S57)年 佐佐木幸綱先生の「日本文学概論」という講義を聞き、
すっかり魅せられ、そこで短歌と出会います

これが、俵さんの歌人としての始まりですね。

「私も短歌をつくってみたいんですが・・・」と
俵さんから佐佐木先生に手紙を出して、
「じゃあとにかく57577の文章を書いて教室に持ってきなさい」
との返事で、
それから毎週のように俵さんが短歌を書いて佐佐木先生のところに
持っていったそうです。

佐佐木先生に言わせると、「噴き出すように短歌ができてきた」
と語っています。

1985(S60)年 早稲田大学第一文学部卒業後は、
神奈川県立橋本高校の国語教師になります。

高校教師をしながら短歌を書いていきますが、
俵さんの新しい感性が歌壇を騒がせる存在になっていきます。

そして
1987年に出版した「サラダ記念日」は280万部のベストセラーになります。
1989年に4年間勤めた橋本高校を退職して、
歌人として生きていくことを決断します。

1991年 第二歌集『かぜのてのひら』出版

1994年には戯曲「ずばぬけてさびしいあのひまわりのように」を書き
つかこうへい事務所が上演しています。

1997(H9)年 第三歌集『チョコレート革命』出版
この歌集は「不倫」がテーマで
それまでの俵さんのイメージをひっくり返す内容で
新たなブームが巻き起こります。

2003年には初めての小説『トリアングル』を読売新聞に連載して
阿木燿子監督の『TANNKA 短歌』として映画化もされています。

2006年(平成18年)歌集「プーさんの鼻」で第11回若山牧水賞を受賞。

2016年(平成28年)4月からは宮崎市に移住。
2020年3月、宮崎県の全国障害者芸術・文化祭の広報アンバサダー(大使)に就任しています。

俵万智さんの短歌の特徴

俵さんの短歌は口語調です。
口語調の短歌というのは昭和初期や戦後に結構流行ったらしいですが、
かなり字余りや字足らずが多くて否定形が多かったようです。

しかし俵さんの短歌は口語だけど、きっちり57577の定型で
字余り、字足らずがほとんどないんですね。

たとえば、

俺は別にいいよって何がいいんだかわからないままうなずいている

一見否定形のように見えますが、

おれはべつに(6字)
いいよってなにが(7字)
いいんだか(5字)
わからないまま(7字)
うなずいている(7字)

ほぼ定型のリズムをとっています。
もう一句

また電話しろよ待ってろいつもいつも命令形で愛を言う君

これも一見定型の短歌に見えませんが

またでんわ(5字)
しろよまってろ(7字)
いつもいつも(6字)
めいれいけいで(7字)
あいをいうきみ(7字)

とほぼ定型にのっとっています。

日常生活によくある光景や会話をさりげなく
定型の短歌に読み込んで、その裏に隠れる気持ちを
うまく表現しているのが共感をよんでいるのではないかと思います。

さりげなく詠んでいるようで、裏ではきちんと計算されている短歌
俵さんってやはりすごいです。

ご主人や子供は?

俵万智さんのご主人やお子さんが気になりますが、
俵さんは未婚の母、シングルマザーです。

2003年、俵さんが40歳の時に息子さんを生んでいます。

俵さんは人工授精によりお子さんを授かったことが
当時の新聞記事にも載っていますが、
お子さんの父親は公表されていません。

俵さんがどうしてシングルマザーを選んだのかは不明ですが、
2006年9月に出版された俵さんの自伝的小説「トリアングル」に
俵さんが人生で出会った男性3人との関係が描かれているので、
そこに俵さんの心境が見え隠れしています。
どこまで本当なのかフィクションなのかはわかりませんが。

俵さんは、仙台でご両親の助けを借りながら
シングルマザーとして子育てをしていました。

しかし2011年の東日本大震災後は、
沖縄の石垣島へ息子さんととともに移住し、

2016年4月からは息子さんと2人でで宮崎市で暮らしています。

息子さんも母親譲りの感性

幼少期に
「集中は疲れるけど、夢中は疲れないんだよ!」
などの名言で俵さんを驚かせたといいます。

俵さん本人が詠んでいる動画あるのでみてみてください。

Machi Tawara reading her works

まとめ

俵万智さんがどんな人か「学歴や経歴やプロフィール」「ご主人やお子さんは」をまとめました。俵さんは子供のころから文学に親しむ環境にあって、早稲田大学入学後に、
佐佐木幸綱先生との出会いから短歌と出会います。大学卒業後は高校教師をしていましたが、「サラダ記念日」がベストセラーになったことで、教師を辞めて歌人として生きて行くことを決心しました。息子さんがいますが、ご主人は不明でシングルマザーで育てています。「サラダ記念日」ではさわやかなイメージでしたが、一転して「チョコレート革命」では不倫がテーマ。俵さんは、短歌も実生活も感性のおもむくまま、自然体で生きているように感じられます。

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