髙田千明さんは、全盲ながら走り幅跳びの選手で、東京パラリンピックの代表に内定し、、金メダルをめざしています。全盲なのに、走り幅跳びでパラリンピックに出場されるまでは、たいへんな苦労があったと思います。
そこで、髙田千明さんの
・病気や経歴は?
・夫や子供はいるの?
・今までの成績は?
が気になったのでしらべてみました。
最後に、髙田千明さんがどのように走り幅跳びを行っているのか動画があるので、
是非見てみてください。
どんな病気?と経歴
髙田千明さんは、
1984年、東京・大田区生まれの36歳(2020年)
生まれつき正面の視野が欠けていて、
日頃ものを見るときに、横目で見る感じでした。
それに両親が気づき、検査を受けたところ、
先天性の「黄斑変性症」という病気でした。
この病気は、遺伝子の異常で
網膜の中央の黄斑という部分が委縮して、
最初は中央が見えなくなり、進行すると失明にいたる病気です。
残念ながら治療方法がありません。
高田さんは、徐々に視力が低下し
高校3年で視力を完全に失います。
視力が徐々に失われる日々は、
生きた心地がしなかったと思います。
高田さんは、中学校から盲学校に通い始めますが、
そのとき出会った視覚障碍者のスポーツに
喜びを見出します。
ボール競技や水泳とかいろいろやったみたいですが、
子供のころから走るのが好きだったようで、
最終的に陸上競技を選びます。
ご主人(夫)や子供はいるの?
ご主人は陸上選手の高田裕士選手です。
でも、ご主人は耳が聞こえない、やはり障碍者です。
「デフリンピック」という、
耳が聞こえないスポーツ選手の国際大会に出場しています。
高田さんとの出会いは、
2006年の国体のときだそうです。
千明さんは、目が見えないけど耳は聞こえる。
ご主人は、目は見えるけど耳が聞こえない。
じゃあ、どうやってコミュニケーションをとるのか
すぐには思いつきません・・
それは手話でした。
でも、千明さんは目が見えないので、
どうやって手話を覚えたか?です
それは、
「あ、い、う、え、お~の50音の指文字」を
ご主人が「あ~」と声を出しながら、
手話の指の形を、手でさわりながら教えてくれたそうです。
涙がでそうな話です。
そうやってコミュニケーションがとれるようになり、
お互いの障害を補い合う関係になり、
結婚を考えるようになります。
でも、お互いの両親は大反対されます。
親としては、自分の子供に苦労させたくないでしょうし、
また子供が生まれたら
その子にも障害があったらよけいたいへん
って考えますよね。
しかし、千明さんとご主人、
もし自分らの子供に障害があっても個性として受け止め
3人で支えあって生きる
との決心で両方のご両親を説得、
2007年に結婚します。
翌2008年には、長男の諭樹(さとき)君を授かります。
諭樹くん、2020年は12歳になりますね。
諭樹くんは、ご両親に似ず、人と競い合うことはあまり好まないようです。
成績は?
千明さんは、
2011年IBSA世界大会(視覚障害者の世界大会)
で200m銀、100m銅メダルを獲得
全盲者女子としては日本人初でした。
でもロンドン五輪も北京五輪もパラリンピックの代表に選ばれず、
どうしてもパラリンピックの代表になりたかった千明さん
2013年走り幅跳びに転向します。
走り幅跳びで才能を開花させて
2016年のリオパラリンピックでは、4m45の日本記録で8位入賞
2017年のロンドンパラ陸上では4m49で銀メダルを獲得しています。
東京パラリンピックの走り幅跳びの代表に内定していて、
今まで取っていない「金メダル」を目指しています。
東京パラリンピックは、一年延期になってしまいましたが、
ぜひ、金メダルをとってほしいですね。
最後に、全盲の千明さんがどうやって走り幅跳びを跳んでいるか、動画あるので、
是非見て見てください。
全盲の千明さんが、ガイドさんと1つになって跳ぶ姿は感動的です。
まとめ
全盲髙田千明さんの
・病気や経歴は?
・夫や子供はいるの?
・今までの成績は?
を調べてまとめました。ご主人は、耳に障害があり、お互いに支えあいながら
アスリートとして生きている姿は本当に感動させられます。しかも、子育てを
しながらです。千明さんの精神力の強さには、本当に驚かされます。
東京パラリンピックの走り幅跳びでは、是非金メダルをとってほしいものです。
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